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須走の今昔
須走は富士講の街として栄えた街だ。現在でも大正時代から続いている宿が健在だ。今回はその須走り口の古いポストカードを紹介する。
(須走りは江戸時代にも栄えていて宝永3年1706年戸数74戸、富士登山の導者や旅館業が多かったようです。)
下左の写真は、おそらく富士講で栄えていた頃の浅間神社へ通じる通りの様子だろう(図クリックで拡大)。右に「大米谷」と見えるが、当時の宿坊の一つだ。「大米谷」(オオコメヤ)の向こうに「大申学」(ダイシンガク)、左に「米山館」の看板が見える。下は現在(2004年)の様子だ。
「米山館」「大申学」は現在も旅館業を営んでいる。下は「大申学」の昔と今の様子だ。(大申学の昔:写真提供は矢花さん)
下は浅間神社入り口の昔と今の様子だ。
須走り口登山道の今昔 須走り口案内と地図 
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