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富士山麓 昭和初期のスキー場
太郎坊スキー場,籠坂スキー場,吉田口スキー場などにぎわう
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明治時代に日本に伝えられたスキーだが、富士山麓にも明治43年スキーをやった記録があったと紹介されている(岳麓漫歩四)。スキー場は大正時代にはあったと思われるが、手元にある最も古い記録では昭和3年御殿場口のスキー客が「700名以上に達した」と紹介されている(大富士遊覧案内記)。左の写真は太郎坊スキー場のポストカードだが、「富士御殿場スキー場」と写真の紹介が入っていて、写っている横断幕には「太郎坊館 富士スキー場」と記載されている。左下のピンク色の印刷物は御殿場の田口館が発行した富士御殿場太郎坊スキー場の昭和8年発行案内パンフだ。田口館が別館を太郎坊に造ったのは昭和6年と紹介されている(岳麓漫歩四)。
左下の茶色い「富士山麓スキースケート」パンフは富士山麓電鉄(現富士急行の前身企業)が昭和9年に発行したパンフレットで下のスキー場案内地図が掲載されている。北麓には現在よりもたくさんのスキー場があったことが分かる。
太郎坊スキー場(昭和初期?)
田口館のスキー場案内(S8)
富士山麓電鉄のスキー場案内(S9)
富士北麓のスキー場(昭和9年富士山麓電鉄)
左は昭和9年発行のスキー場案内パンフに掲載されていたスキー場の写真だ。吉田口スキー場は吉田口登山道2合目の鈴原神社近くだが、当時は吉田の町が見渡せるほど眺望が良かったことが分かる。近年、これらのスキー場跡を探しに出かけたが、植樹した樹木が高く密集し、痕跡すら探すことができなかった。また、登山道から見えるのは林ばかりで、当時の眺望は樹木にさえぎられていた。

下の地図は昭和21年の観光案内地図だが、富士北麓のスキー場は昭和9年と殆ど変わっていなかった。山中湖から御殿場に抜ける籠坂峠のスキー場は昭和40年頃もあったと記憶している。
今は平成20年で、あれから40年、下の地図のスキー場は全てなくなり、あらたに北麓にふじてんリゾートカムイミサカスキー場、南麓にスノータウンイエティがある。
吉田口スキー場(S9)富士山麓電鉄パンフより
馬返しスキー場(S9)富士山麓電鉄パンフより
富士山麓のスキー場(S21年武相観光社の富士箱根伊豆案内図から)赤い点線部がスキー場
左右の写真は太郎坊スキー場のポストカードだ。昭和49年には御殿場市が双子山近くにスキー場を建設している(岳麓漫歩四)。
以上のように富士山麓のスキー場は歴史的には古くから開設されているが時代とともに大きく変遷している。それは長野や新潟など豪雪地帯と違い雪が少なく、営業期間が短いことなどから、経営的に厳しいことが原因しているのだろうか。とまれ、雪さえあればスキーは今後も冬の重要な観光資源と言えるのだろう。
太郎坊スキー場(昭和初期?)
太郎坊スキー場(昭和初期?)
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