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富士川からの富士・今昔
明治時代、富士川の河口近くは、山梨へ物資を運ぶ水運船着場があり、東海道の陸橋、鉄橋が集中する交通の要所だった。合わせて、富士川、橋、富士山が絵として収まるビューポイントだったのだろう。多くの写真が残されている。
左上は明治後期と考えられる富士川橋と富士山の古写真だ。写真の右端の森は水神の森で、この木橋は明治初年にかけられ、大正13年鉄橋に変わるまで、木橋が建て替えられて使われた。左中の写真も木橋が写っている。撮影場所は下の地図の赤丸下の辺りと思われる。左下は渡し舟で水神の森の位置から、左上より河口に近いところから撮影されていると考えられる。下の富士川下流地図で黄丸のあたりだろうか。
右上は新幹線から撮影した現在の東海道線鉄橋と富士山だと思う。(新幹線から撮影したが、東海道線かどうかは未確認。地図の位置から多分そうだとおもう。)右下は大正時代の東海道線で、複線の鉄橋の形が同じなので、大正末期の写真と考えられ。現在は新幹線より河口側に新富士川橋ができている。
(左上:古写真、左中、左下、右下:ポストカードは瑞穂通信蔵、下の地図はカシミール3Dの地図を用いた。参考図書:静岡県の絵葉書(羽衣出版))
静岡側はなかなか撮影に行けないので、富士北麓を中心に情報発信しているが、たまたま東海道からの富士山撮影写真に古写真と比較できるものがあったので紹介した。現在の撮影場所の方が場所を特定できない場合がある。今回の写真も新幹線から撮影したもので、下車して場所を確認してないので多分そうだろうと言うあいまいさが残る。デジタル写真なので、撮影時間の記録と、新幹線の時刻から撮影場所を特定する場合もあり、変なところで苦労している。今回の写真は、そこまでしていない。撮影前後のショットから、ほぼ確実だとおもう。このような意味で、撮影は無駄と思えるショットも多く、データーが多くなってしまう。
ここに用いた古写真(左上)は同じようなものがあるようなので、比較検討することで撮影時期も特定できそうだ。また、その他のポストカードも同じようなものが多数報告されているので、撮影されている映像から撮影時期が特定できる。これらの情報をもとに、古地図を掛け合わせると、現在の鳥瞰図と古写真などから想像した昔の鳥瞰図を比較できる。富士山周辺の今昔鳥瞰図比較を作りたいですね。
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