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富士吉田市内で
        数百年湧出した湧水が消えた

  月江寺の池、小舟山湧水(新町水道)、渡辺大明神裏の湧水、愛染湧水、宮川沿いの湧水、泉水  
左の写真は現在の月江寺の池です。注ぎ込む水はありますが、昔を知る人の記憶にある豊富で鮮烈な水ではありません。
それもそのはず、昭和後半に自然の湧水は枯渇し、現在は井戸を掘ってポンプアップした水を流す、人工の池となっているからです。
昔のきれいな池を復活したいという周辺の人たちの努力と市の協力によってなんとか池を維持しているといえます。
このような枯渇した湧水は他にもあります。
新町水道の水源であった「小舟山水源」、染色に使われていた「愛染の湧水」、豊富な水量をほこった「渡辺大明神の裏手の湧水」、宮川沿いに多数湧出していた湧水郡、鎌倉時代から続いていた「泉水」などです。
富士山から富士吉田の扇状地の中心にあるのが特徴です。

一方山沿いにある湧水は現在も健在です。
富士吉田市の東にそびえる杓子山の中腹にある「不動湯の湧水」、ここと沢一つ違いの崖から流れ落ちる「杓子山の湧水」、水量はごくわずかながら江戸時代にはあった「池の元の湧水」、富士八湖の一つ「明見湖」、富士山としては珍しい標高1500m付近にある「滝沢林道の湧水」などです。
月江寺の池、現在は地下水をポンプアップして流している。
どうして市中心部の湧水は枯渇したのでしょうか。

深井戸の増加、河川工事などによる流路の変化、雨水の地下浸透量の減少など色々な原因が考えられますが、明確な原因は分かっていません。

最も大きな原因と考えられている地下水の汲み上げの増大について、考えてみました。

下吉田の本町の人たちに話を聞くと、多くの家に井戸があったと言います。昔からの手堀の井戸でしょうか。富士吉田市周辺で地下水(深井戸)の汲みあげが頻繁になったのは昭和40年頃です。この地域に進出してきた企業の深井戸開設が続きました。企業にとって水の確保は生命線でした。取水に成功した企業の多くは現在2本目、3本目の井戸を掘り、大きくなっています。平成に入ってから、深井戸を開設する企業の多くはミネラルウォーターの企業で、平成19年から急増しました。
また、取水量で最も多いのは市の水道用井戸で市全体の汲み上げ量の76%を占めています。(2008年)人口五万七千人相当の水確保の主要部分を占めます。市水道部の井戸は深井戸で市内全域にあります。
下の地図は富士吉田市の簡略な地図です。主な企業の深井戸を
(水色四角)でプロットしました。国道139号線、138号線より富士山側に集中している様子が分かります。
一方、
(黄色丸)で昔の湧水をプロットしました。市内中心部に集中しています。
地下水の流れは、富士山から下に流れます。富士吉田市内の帯水層はおよそ地下100m周辺です。多くの深井戸の深さも50m〜150m程度です。
地下水の汲み上げにより、帯水層の水位が低下し、かつて自噴していた市内の湧水が押し出されなくなったと考えるのは飛躍しすぎているでしょうか。
現在でも月江寺の池では地下80mぐらいの井戸を掘って池に水を入れていると聞きます。地下に水はあるのです。しかし、自噴できないのです。昔の手掘りの浅井戸もほとんど止まってしまいました。同じ理屈で考えると止まった理由の説明がつきそうです。
もし、そうなら、市内の湧水を復活させるには地下水の水位を上げることです。
今更地下水くみ上げをやめることはできないでしょうが、少なくとも汲み上げ量を抑制し、そのほかに地下水の水位を上昇させる手立てを考えていくことが必要だと思います。
例えば、雨水を地下に導くような舗装方法の見直し、雨水を直接河川に導かず、地下に浸透させるような河川管理、地下水脈の把握と水脈を考えた道路や水路の工事など色々な手立てが考えられます。
また、安全な水を得るためには、生活排水の浄化の徹底や農薬や工場廃水の適正な規制も必要でしょう。

再び湧水が街中に普通にある市街を取り戻したいものですね。
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