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2009初春 冬富士撮影ドライブ


厳冬の鳴沢の朝(12月撮影:合成)これ以外は元旦撮影
富士北麓の冬は厳しい寒さだ。昼になっても家の前の水溜りはカチカチである。国道139号木立の温度計は氷点下を示すことが多い。それでも、昭和の時代のように枕もとのコップの水が凍るようなことはなくなった。温暖化が着実に進行している影響だろうか。おかげで富士山撮影は楽になった。特に2009年今年のお正月は風が少なく、お昼前後に歩いているとコートが邪魔になるくらいだ。
冬富士は雲も少なく、どこからも好撮影スポット。初詣を兼ねて冬富士撮影に富士山を一周してみた。
まずは伊奈神社に向かった。伊奈神社は静岡県小山町須走にある。宝永噴火のあとの復興支援に尽力した伊奈半左衛門(左写真)を祀った神社だ。宝永噴火から300年経過し、ここが3mもの火山灰で埋まった場所とは思えないが、重機もない江戸時代の災害復興事業は大変だったろうと考えさせられる。その上、復興のために集めた支援金の多くは幕府に流用され、地元にはわずかばかりしか来なかった中で、止む無くお助け米を独断で支給した責をとらされ処刑されてしまった伊奈半左衛門を「御厨の父」とあがめ祀ったのだ。
伊奈神社の参拝後、須走り口登山道入り口にある東口本宮浅間神社に参詣した。本殿は改装中でちょっと寂しかったが、明治から大正にかけて寄進された富士講講碑には歴史を感じさせられた。
伊奈半左衛門の像
伊奈神社前からの富士
富士講講碑
須走から御殿場に入り、富士サファリパーク方面に向かう。途中にススキの大草原を走る。富士山と大草原の景観は絶景だ。道幅が狭く、車を止めるところが少ないが、路肩にちょっと空きがあるところで停車する。ススキの背が高く、降りてみると意外と富士山が小さく見える。手前のススキが低い場所を探して歩く。なんとか富士山が裾野まで見渡せる場所でパチリ。宝永山が真正面だ。
隣で「あの大きな穴はなに?」思わぬ質問だ。「あれが宝永山だよ。山頂火口より大きい噴火口の跡だよ」「へえー」と言う顔をしていた。
でも宝永山ってどこのことだろう?口に出さないで自問していた。後で地図で調べてみると、宝永山は右の写真の大きな火口の右に雪のない三角形の頂点の場所がある。
ススキの大草原と富士(拡大あり)
そこの盛り上がったところのようだ。標高2639mである。ちょうど第一火口と第二火口の間の小高い山をさすようだ。火口には第三火口まであるそうだが、大男が砂場の盛り土をわしづかみにして取り去った跡のようだ。こんな噴火が起きたら大変なことだと今更ながら思う。富士山よお願いだから静かにしていてくれと願う。
しかし、ここは東富士演習場のど真ん中。富士山にとってはへでもないと思うが、人間は富士の横っ腹に125mm榴弾砲をドンドン打ち込んでいる。富士山を起こしてはいけないのだが・・・・
日が西に沈み始めた頃裾野市の富士山資料館の案内板を後に富士市に入ると宝永火口が右になり富士が輝いている。富士山こどもの国の入り口からパチリ。
富士市から見る富士山は表口登山道が正面になる。宝永山の突き出た三角形の山形が良く分かる。ざっくりとえぐり取られた火口が富士山の身体半分にも見える。宝永噴火がもう少し山頂によっていたら今の富士山の姿はなかったかもしれない。
こどもの国を過ぎると手前に海が見える。
まっすぐ進むと富士市中心に進むが、勢子辻で右に折れる。
勢子は狩の鳥獣を追い出す人、ここは富士の巻狩りにちなんだ地名が多い。
国道469号から県道72号に入る。昔に比べて道路が良くなった。それにしても路肩のポイ捨てのゴミは目に付く。富士山の上の方はきれいになってきたが、周辺のゴミはまだまだである。
富士山が赤く輝き始めた。夕陽が前方の山に沈もうとしている。白糸の滝を過ぎ「風の湯」の近くでパチリ。
富士山こどもの国入り口からの富士(拡大あり)
「風の湯」は富士宮市の北にあるバナジウム温泉。ここまで来ると宝永山は姿を消し、代わって大沢崩れが現れる。
停車するタイミングが悪く、山頂の一部しか赤くない。この後、道の駅「朝霧高原」に着いた時には、日が沈んで富士山はモノトーンとなってしまった。
「風の湯」から「朝霧高原」に向かう途中に「富士ハーネス」の施設があった。昔オームがいた場所だ。2008年富士山検定1級試験に「昔オームの施設は今何に使われているか?」と質問されていた施設だ。山梨側にいると全く分からない質問だが、前を通って「あっこの施設だ」と思った。今回は時間がなく止まらなかった。「富士ハーネス」は盲導犬訓練施設だ。私は、適当に高齢者福祉施設とか書いておいたが、間違っていた。
朝霧高原から鳴沢村に入り「富士緑の休暇村」前で突然渋滞になった。元旦渋滞だろう。でもここまで来ると我が家の庭のようなもの。富士山に向かい山道を我が家に帰った。
「風の湯」近くからの富士(拡大あり)
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