富士みずほ通信 今月の表紙目次-マル得情報写真館絵画館登山周遊温泉歳時記今昔
歴史と自然野鳥山野草木-なんでも館吉田うどんクイズ富士山検定考ショッピング(広告)

情報源過去総目次リンクご挨拶メールプライバシーポリシー
 鳴沢の朝
富士山の北側に位置する鳴沢村、ここが私の新しい住所だ。
先月あわただしく富士吉田市から移転したが、30年以上住んでいた富士吉田市の建物からは、どこにこんな荷物があったかと思えるほど懐かしい衣類や本などが出てきた。
大半の衣類は着れないため廃棄処分だった。
毎週土日帰省するたびに少しずつ整理しているが、はかどらないばかりか、ゴミは増えてしまい、あらたに整理しなければならない場所が見つかり、ため息が出る始末だ。
当分、土日の仕事は引越し後の整理が続きそうである。
2008年5月連休は雨や曇りが多かった。最終日の6日だけが五月晴れで、格好の洗濯日和だった。
五月晴れの鳴沢は、非常にすがすがしく林の中のジトジト感をしばし忘れさせてくれた。
それに、朝の小鳥たちが心和ませてくれる。
シジュウカラ、ヤマガラ、ホオジロ、メジロなど小型の野鳥が飛び回っている。ヒヨドリやクロツグミも多い。夏鳥のキビタキを運良く写真に収めた。(右上の写真:クリックで拡大)
リスが道路中央に止まっていて危うくひきそうになってしまったこともある。自然豊かな場所である。
鳴沢の家は、たまたま空き家となった家を購入したのだが、林の中にあり、購入時は自然豊かで良い場所だと思ったが、住んでみると日照時間が短く、湿度が高いために洗濯物が乾きにくく、富士吉田の家の日当たりに戻りたくなる。
やはり、全て良しとはいかない。自然豊かな生活に慣れるしかないといったところだ。
土曜日孫たちの送迎で富士山を近くに見ることができる。富士吉田市からの富士山を見慣れているせいか、鳴沢村からの富士山は、違う山を見ているようだ。よくよく見ていると吉田からの富士山に比べ中央がとがっている。富士山信仰で使われる三峰に近い形なのだ。平安、鎌倉頃から描かれてきた富士山の多くは駿河方面からの富士山を見ていたと思うが、三峰の富士は鳴沢村方面から見たものが元になっていたのかと思わせる形をしている。
「鳴沢」で思い出すのは万葉集の富士の詩に「さ寝らくは玉の緒ばかり恋ふらくは富士の高嶺の鳴沢のごと」と出てくることだ。直感的に、万葉集の編纂された奈良時代、8世紀に村名の歴史はさかのぼるのかと思ってしまうが、鳴沢村は明治22年発足で、富士山からの季節風が吹き降ろす沢という意味で「鳴沢」と付けられたようだ。(お寺の名前などに平安時代頃から鳴沢という表現は用いられているようだ。)

5月11日富士吉田市から鳴沢村へ向かう国道の温度計は4度だった。
スバルラインは雪で二合目より上が通行止めになってしまった。
まるでガソリンの値段以上に乱高下する気温だが、鳴沢村はやはり高地だからだろうか、下がったときの気温は寒く、暖房が欠かせない。
こんな日は野鳥の声も少なく、カラマツのこずえを隠す霧が、憎らしく思えてくる。
富士山がくっきり見えるさわやかな鳴沢が恋しく思える朝だった。

               写真右:さわやかな朝きれいな声で鳴くホオジロ