富士みずほ通信 今月の表紙目次-マル得情報写真館絵画館登山周遊温泉歳時記今昔
歴史と自然野鳥山野草木-なんでも館吉田うどんクイズ富士山検定考ショッピング(広告)

情報源過去総目次リンクご挨拶メールプライバシーポリシー
開館から1ヶ月1万7000人入館

地元の人や観光客でにぎわう新観光施設富士山レーダードーム館

富士山レーダードーム館が開館して1ヶ月以上がたった。開館から1ヶ月強で1万7000人(5月末現在)が入館した。(富士吉田市交流事業課調べ)

道の駅富士吉田の南側に高くそびえる三角形の建物は富士山を模しているのだろう。屋上に白く大きな球形ドームがポコンと乗っかっている。さしずめ剣が峰にあったレーダードームを髣髴とさせる構成である。

駐車場から建物までは相当の距離があるように見えるのは、芝生の広場があるからだ。もしかして、この広場は裾野を表現しているのだろうか。建物までの道は芝生の左側に登山道のように建物に続いている。こんな感慨とは無関係に芝生の上では大勢の親子連れが連休の一日を楽しんでいた。連休はじめの正に五月晴れの一日だった。私はこの日一人だったので、なんとなくそんな家族連れの雰囲気を楽しむゆったりとした気持ちはなく、レーダードーム館内部を早く見たいと言う気持ちに誘われて、そそくさと建物に向かった。登山道を模したと思えるレーダードームまでの階段脇に展示室入り口がある。エントランス正面に「想う女」の石彫が迎えてくれる。なんとなくうつろな目の女性の彫刻である。富士吉田市内や東京など各地に石彫を提供している富士吉田市出身の彫刻家浜田彰三氏の作品だ。暖かさで定評のある氏の作品は富士山レーダードーム館に人間の暖かさをかもし出してくれる。(浜田彰三氏の作品は氏のサイトで見ることができる。)
石彫の後ろに昭和5年当時の富士五湖地方の地図が貼ってあった。意外と気づく人は少ないと想うが、半世紀以上も前の周辺の様子が分かる。現在と大きく変わったことを思い起こさせる地図だ。昭和4年に現在の富士急行線が開通した直後の地図だが、昭和生まれの私にしてみると、「昭和は遠くなりにけり」を痛感させられる地図でもある。実はこの地図は復刻版のようであり、国道を挟んで東側にある博物館で販売しているので興味があったら買い求めることができる。(一冊500円)この石彫のホールまでは無料で入ることができる。この先レーダードーム館内は有料となっている。富士吉田市民は今年2004年の広報4月号に期間限定の無料券が印刷されていたので、探し出して利用すると良い。(入館料は大人600円小中高生400円火曜休館、7月8月無休)
入り口を入るとレーダーの構想から建設までの過程やエピソードなどを紹介したコーナーがある。その奥には新田次郎のコーナーがある。(右写真)新田次郎は本名を藤原寛人と言い、小説家で、中央気象台に勤めていた人だ。氏は富士山頂測候所に勤務し、レーダー設置の技術責任者をしていた。氏は小説「強力伝」で直木賞を受賞していたが、レーダー設置前後の人ざまや経過を小説「富士山頂」として発表している。同じ頃「怒る富士」を発表するなど富士山の環境
保全にも強い関心を持って活動していた。(明治45年生まれ昭和55年没)このコーナーでは新田次郎の遺品や小説を全て置いてあり、小説は自由に読むことができる。館内は1階が「富士山レーダーの軌跡」2階「富士山からの気象観測」3階「35年の役目を終えて」で構成されている。2階に上がると気象観測コーナーでは山頂の気象条件体感コーナーや気象観測クイズコーナーが人気をはくしていた。(下はクイズコーナーとレーダー観測員体験コーナー)
クイズコーナーでは10問中7問以上正解すると認定証をもらえるそうなのでチャレンジしてみよう。それにしても観測員体験コーナーの人物(左の作業服のお兄さん)はリアルでした。3階はレーダードーム内部を下から観察できる吹き抜けになっている。
山頂にあった時と同じ1周30秒で回転している様子を観察できる。実際の観測装置も全て実物が展示されているので模型にはない存在感がある。館内は車椅子でも見学できるバリアフリーであり、大人から子供まで楽しみながら学習もできる施設となっている。富士北麓訪問の際には一度は見学したい施設と言える。この入館券で道隣の博物館も入館できる。富士講などの歴史を合わせて見学できる。
博物館だけの入館料は300円なので、時間が許せば一緒に見学すると割安になる。この夏の行楽コースの一つにいかがだろう。

○瑞穂通信表紙○瑞穂通信目次

↑頁トップへ        富士北麓−瑞穂通信=富士みずほ通信 http://www.fjsan.net