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富士山頂測候所を振り返る

富士山頂での気象観測は120年以上の歴史を持っている。
1880明治13年東京帝大が山頂久須志岳付近で気象観測(重力測定)
1895明治28年8月27日剣ヶ峰に野中観測所落成
1895明治28年10月1日野中気象観測開始12月21日まで続く
1927昭和2年東安河原私設気象観測所完成
1932昭和7年臨時富士山観測所完成
1936昭和11年剣ヶ峰に移転現在の富士山測候所となる。
1965昭和40年気象レーダー完成
1999平成11年レーダー廃止
2001平成13年レーダー解体
2004平成16年4月25日富士山レーダードーム館開館
2004平成16年10月以降山頂での常駐廃止予定(山日新聞2003年10/25)

2001年富士山頂から気象観測用のレーダーが地上に下りた。
その象徴だったレーダードームとレーダーが富士吉田市に展示されることになった。
今回は、その山頂気象観測所の歴史を昔の写真から振り返ってみる。
明治の後半、富士山はまだ神の山だった。
現在のように観光や行楽の山では無かった。
人工衛星も当然無く気象観測のために日本一の高所測候所をここに求めたことは必然としても
実際に実行に移すことは至難の行為だったろう。
それは富士山頂で越冬することを意味しているからである。
しかし、この大変なことを実際に実行した人がいた。
野中至だ。
彼は明治28年私財をつぎ込み富士山頂に登り、冬の気象観測を実行した。
明治34年野中は「富士案内」を発行、この顛末を詳しく紹介している。
下の写真は明治28年越冬用の気象観測所として完成させたものだ。





久須志岳の測候所の写真は入手していないが
明治41年に発行された「富士山スケッチ」に
久須志岳測候所のスケッチ(下)があった。



上のスケッチとその前の野中氏の観測所写真が似ているので
両者は同じ物かも知れない。

次の写真は設立経過が分からないが明治後期から大正時代のものだろう。
割石気象台とあるので、山頂の割石に造ったと思われるが久須志岳付近に
造った記録はあるが割石の記録は見つからなかった。



次の写真は昭和2年完成した東安河原私設気象観測所だ。



この後、昭和11年剣ヶ峰に移転現在の富士山測候所となる。
その後の富士山測候所については新田次郎が小説「富士山頂」などで
書き記しているが、今年平成14年9月「富士山測候所物語」(志崎大策著)
が出版され測候所の歴史を詳しく解説している。

(写真はいずれも瑞穂通信蔵のポストカード)

参考にした図書など
「富士案内」M34(S53復刻版)
「富士山スケッチ」M41(杉浦非水著)
「富士山測候所物語」H14(成山堂書店)
「富士山」H4(読売新聞社)
「富士山頂のシンボル姿消す」山日新聞記事H13.9.6記事

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