これらの馬は裸馬で、各家庭の農耕馬が使われました。実施されたのは毎年9月15日頃のお祭の日だったそうですが、現在ではこのお祭があるかどうか調べてありません。何でも当時は屋台も出てにぎやかなお祭だったそうです。(「おてんのう様」と呼んでいたようですが、それが9月15日の祭かどうか未調査です)そんな通りの真中をきれいな川が流れるなんて、今考えると情緒がありますね。(川がそのままだと、車は通れず埋めてしまったのかも知れませんがちょっと残念ですね。)その当時、夜になるとその川べりをホタルが舞い、ろうそくを手にして、そのホタルを追いかけて遊んだそうです。
現在でも、この近くの山際にはホタルを観察できます。
下の写真はそんな当時の大明見と富士山の写真。(一部加工しています)
現在背戸山(西尾共同墓地)と呼ばれるお墓のある山から大明見南側を見下ろしています。
(写真提供:下吉田Oさん、昭和のはじめ頃、一部加工しています)
また、ほぼ同じ位置からの現在の写真を撮りました。比較してみてください。 |